コラムColumn
執筆者プロフィール
- 名古屋経済大学 経済学部 教授
- 社会保険労務士
- 証券アナリスト(CMA)
- 2024.01.04
- ライフプラン
WPPとデキュムレーション、貴方ならどっちにする!?
いわゆる「人生100年時代」が喧伝されている中、現役期の金融資産の積立・形成に加えて、引退期の金融資産の取崩しに着目した「デキュムレーション」という考え方が話題になっています。その一方で、就労延長・私的年金等・公的年金の継投で老後生活に備える「WPP」という考え方も近年専門家の注目を集めています。前回のコラム(※1)では、WPPとFIREという2つの資産形成モデルについて比較しましたが、今回はデキュムレーションとWPPの両者の比較から老後資産形成のあり方について考えます。
■デキュムレーションとは
デキュムレーション(decumulation)とは、「資産の引出し・取崩し」を意味する言葉で、資産形成を意味するアキュムレーション(accumulation)の対義語として編み出された造語です(辞書によっては収載されていない場合あり)。資産運用というと、かつては「貯蓄から投資へ」というスローガンばかりが喧伝されてきましたが、近年は、現役期の資産形成だけでなく高齢期の取崩しを含めて金融資産を有効活用することで「資産寿命」を延伸することが提唱されています。
近年のデキュムレーションの議論では、一定の金額を定期的に取り崩す「定額取崩し」ではなく、毎期の資産残高の一定割合を取り崩す「定率取崩し」が提唱されています。定率取崩しの優位性を示す論拠としてしばしば取り上げられるのが、収益率配列リスク(Sequence of Returns Risk)です。収益率配列リスクとは、ある一定期間のリターン(収益率)およびリスク(標準偏差)が同一であっても、その間の収益率の配列が異なると、一定期間経過後の取崩額および資産残高の水準が変わるというリスクです。例えば、3年間の平均リターンが2.0%、リスクが1.0%でも、単年のリターンの配列が「1年目:3.0%、2年目:2.0%、3年目:1.0%」の場合と「1年目:1.0%、2年目:2.0%、3年目:3.0%」の場合とでは、3年後の取崩額および資産残高に差が生じるというものです。
■計算例でみる収益率配列リスク
例として、5年間の平均リターン3.0%、リスク1.6%の環境下において、65歳時点で1,000万円ある資産残高を運用しながら年1回期始に取り崩す場合の5年後の資産残高および取崩額を試算してみます。取崩額は、定額取崩しでは「100万円」、定率取崩しでは「各年齢の期始の資産残高×10%」と仮定します。
まずパターン(1)は、リターンの配列を「1年目:5.0%、2年目:4.0%、3年目:3.0%、4年目:2.0%、5年目:1.0%」とした場合です。この場合、5年後(70歳時点)の資産残高は、定額取崩しで622万円、定率取崩しで684万円となります。
<パターン(1)>
◆定額取崩し(期始に100万円を取崩す)
年齢 リターン 残高 取崩額
65歳 5.0% 1,000万円 100万円
66歳 4.0% 945万円 100万円
67歳 3.0% 879万円 100万円
68歳 2.0% 802万円 100万円
69歳 1.0% 716万円 100万円
・ 5年間の累計取崩額:500万円
・ 5年後(70歳)の残高:622万円
◆定率取崩し(期始に残高の10%を取崩す)
年齢 リターン 残高 取崩額
65歳 5.0% 1,000万円 100万円
66歳 4.0% 945万円 95万円
67歳 3.0% 885万円 88万円
68歳 2.0% 820万円 82万円
69歳 1.0% 753万円 75万円
・ 5年間の累計取崩額:440万円
・ 5年後(70歳)の残高:684万円
パターン(2)では、5年間の平均リターンはパターン(1)と同じものの、リターンの配列を「1年目:1.0%、2年目:2.0%、3年目:3.0%、4年目:4.0%、5年目:5.0%」と置き換えてみます。この場合、定額取崩しの5年後の資産残高は601万円となり、パターン(1)よりも低くなります。これは、資産残高が比較的多く残っている初期段階のリターンの低さが影響するためです。
一方、定率取崩しの5年後の資産残高は、パターン(1)と同額の684万円となります。このように、定率取崩しでは、5年間の平均リターンが同一であれば、その間のリターンの配列にかかわらず資産残高は同額となることから、これをもって「定率取崩しは収益率配列リスクの回避に有効である」と結論付ける論調が支配的です。しかし、本当にそうなのでしょうか?
<パターン(2)>
◆定額取崩し(期始に100万円を取崩す)
年齢 リターン 残高 取崩額
65歳 1.0% 1,000万円 100万円
66歳 2.0% 909万円 100万円
67歳 3.0% 825万円 100万円
68歳 4.0% 747万円 100万円
69歳 5.0% 673万円 100万円
・ 5年間の累計取崩額:500万円
・ 5年後(70歳)の残高:601万円
◆定率取崩し(期始に残高の10%を取崩す)
年齢 リターン 残高 取崩額
65歳 1.0% 1,000万円 100万円
66歳 2.0% 909万円 91万円
67歳 3.0% 834万円 83万円
68歳 4.0% 774万円 77万円
69歳 5.0% 724万円 72万円
・ 5年間の累計取崩額:424万円
・ 5年後(70歳)の残高:684万円
■個人の資産形成・資産運用に応用できるのはどっち!?
デキュムレーションとWPPの最大の違いは、老後の糧を「資産寿命の延伸のみで対応するのか」あるいは「金融資産だけでなくあらゆる手法・手段を総動員するのか」の違いに帰結します。
前述の通り、デキュムレーションでは、収益率配列リスクへの対応の観点から「定率取崩し」が提唱されています。しかし、定率取崩しには、「資産残高が減少するに連れて毎期の取崩額も減少する」という構造的な問題があります。前述の試算を見ると、定率取崩しにおける累計取崩額はいずれのパターンでも500万円と同一ですが、定率取崩しにおける累計取崩額はパターン(1)で440万円、パターン(2)で424万円と、いずれも定額取崩しを下回っています。つまり、定率取崩しにおいて資産残高が定額取崩しを上回るのは、取り崩す金額の少なさに拠るところが大きいのです。取崩額の減少は、そのぶん老後に使えるお金が減少することを意味するため、定率取崩しでは「資産はあるのに使えない」という本末転倒な状況を招く可能性があります。結局のところ、定率取崩しでは収益率配列リスクの影響を「取崩額の減少」という形で受けるため、「定率取崩しは収益率配列リスクの回避に有効」との主張は一面的だと言わざるを得ません。さらに、定率取崩しは定額取崩しに比べて取り崩す金額などが直感的に分かりにくいのも難点です。
一方、WPP(※2)は、就労延長、私的年金等および公的年金の三者により老後収入の複線化を図ることで、老後生活をより盤石にすることを目的としています。資産運用や金融リテラシーに自信があればNISAやiDeCoなどを活用すれば良いですし、自信が無ければ就労の割合を増やすという選択も可能です。個々人のライフプラン、財産状況、健康状況などに応じて就労・私的年金等・公的年金の組み合わせを自由に選択できるのがWPPの魅力ですが、一方で、その意思決定を促すための情報提供、シミュレーションあるいは信頼できる専門家の存在が欠かせません。将来的には、WPPの実践を促すためのシミュレーション・ツールの開発やアドバイザーの育成が求められるのではないでしょうか。
いずれにせよ、金融・資本市場のボラティリティ(変動性)が不確実性を伴う以上、デキュムレーションだけで老後を乗り切ろうとするのはあまり得策ではありません。WPPとデキュムレーションを対立的に捉えるのではなく、両者の利点をうまく組み合わせて活用することが、豊かな老後生活につながるのではないでしょうか。
(※1)WPPとFIRE、貴方ならどっちにする!?(2023年10月26日上程)
https://fpi-j.com/column/column4938/
(※2)私的年金の役割は完投型から「継投型」へ(2020年11月5日上程)
https://fpi-j.com/column/column1424/