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繰下げ受給に関する代表的な誤解・曲解


2022年4月から、公的年金の繰下げ受給の選択範囲の上限が70歳から75歳へと拡大されました。繰下げ受給については以前にも解説しましたが(※)、「人生100年時代」と呼ばれる長寿社会が到来しつつある昨今においては、増額された年金額を終身にわたり受給でき、かつライフプランの変化にも柔軟に対応できるため、じつに有効な選択肢であると筆者は考えます。
しかし、公的年金の繰下げ受給については、新聞、テレビ、週刊誌等では目を覆うようなでたらめな議論ばかりが横行しています。そこで今回は、繰下げ受給に関する代表的な誤解・曲解を4つ取り上げて解説します。

■【誤解その1】 事前予約は必要!? 方針変更は不可能!?
繰下げ受給について、「受給開始年齢を事前に申請・登録しなければならない」と考えている方が思いのほか多いですが、いつから受給開始するかを事前に決める必要は一切ありません。繰下げ受給は、66歳以降(65歳から66歳到達までの1年間は不可)のお好みの時期に年金事務所等で手続きを行えば良いのです。
また、請求手続きを行う前であれば受給開始時期の変更も可能です。例えば、当初は72歳まで繰り下げようと考えていたものの、気が変わったから68歳から受給開始するといったことも可能です。ただし、ひとたび受給開始すると、もはや後戻りはできません。
繰下げ受給の受取方法には、①繰下げにより増額された年金額を受給する方法と、②65歳から受給開始時期までの未受給分を一括受給したうえで増額されない年金額を受給する、という2つの方法を選択できるほか、老齢厚生年金と老齢基礎年金とで繰下げ時期を別々に設定することもできます。
このように、公的年金の繰下げ受給は、受給開始時期や受取方法を柔軟に選択でき、かつライフプランの変化にも対応できる、意外と自由度の高いしくみとなっています。

■【誤解その2】 繰下げ受給の上限年齢の拡大は、「支給開始年齢引上げ」への布石!?
前述の通り、公的年金の繰下げ受給に係る上限年齢は、2022年4月から75歳に拡大されましたが、これを受けて、「繰下げ受給の上限年齢の70歳から75歳への拡大は、法定上の支給開始年齢である65歳を、70歳あるいはそれ以上の年齢に引上げるための布石ではないか」という主張がなされています。
しかし、繰上げによる減額率および繰下げによる増額率は、年金財政上中立になるよう設定されています。そのため、2022年4月の改正では、繰上げ受給に伴う減額率が5%から4%に緩和する改正も実施されました。もし、支給開始年齢の引上げを強行しなければならないほど公的年金の財政が逼迫しているならば、繰上げ受給の減額率を緩和することは有り得ないでしょう。
また、支給開始年齢の引上げは、既裁定者(既に年金を受給している者)には影響が及ばず、これから年金を受給する将来世代が割を食うしくみであるため、世代間格差をむしろ助長・拡大させてしまいます。にもかかわらず、世代間格差を問題視している学者・研究者の多くが、なぜか支給開始年齢の引上げを強く主張する傾向にあり、論理矛盾も甚だしいと言わざるを得ません。
なお、日本の公的年金にはマクロ経済スライドが導入されており、支給開始年齢の引上げを行わなくても給付額を調整できるしくみが既に構築されています。マクロ経済スライドは、既裁定者の給付額も調整可能であるほか、人口動態や経済状況の改善によってはプラスの調整(=年金額の増加)の可能性が残されている点において、支給開始年齢の引上げよりもはるかに優れたしくみです。

■【誤解その3】 利用されていないのは制度に欠陥があるから!?
公的年金における繰下げ受給の利用状況は、受給者全体の割合でみると1%程度に過ぎません。これを受けて、「繰下げ受給が利用されていないのは、制度に欠陥があるからだ」という主張がなされています。
しかし、繰下げ受給の現在の利用状況を正確に把握するためには、受給者全体の割合ではなく、新規裁定者(新たに年金を受給し始める者)の割合で見なければ意味がありません。繰下げ受給を選択する者の割合は、直近では老齢基礎年金で6.1%、老齢厚生年金で5.4%と、じわりじわりと増加しつつあります(出典:厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業年報」令和2年度)。
繰下げ受給の利用が進まない理由は、しくみ自体が知られていないことや、繰下げしている最中の「無年金状態」に耐えられるだけの経済的な余力が必要なこと等もありますが、最大の要因は、特別支給の老齢厚生年金(特老厚)の存在です。特老厚は、生年月日が1961年4月1日以前の男性(および1966年4月1日以前の女性(公務員を除く))に対し60歳代前半から支給されますが、いったん受け取り始めた年金を、繰下げするために65歳時点で受給を取りやめるというのは、人間の行動習性に照らすと非常に難しいと言わざるを得ません。しかし、この状況は、特老厚が完全に廃止され、老齢厚生年金の65歳受給開始が標準化する2026年4月(女性(公務員を除く)の場合は2031年4月)以降から順次解消するものと考えられます。

■【誤解その4】 年金額が増えると「手取り」で損をする!?
最後に、「年金額が増えると、税・社会保険料の負担も増える」という主張があります。年金額が増えるということは、収入あるいは所得が増えることを意味するため、当然ながら税・社会保険料の負担も増えます。
しかし、年金額すなわち収入が増えれば、税・社会保険料を控除した「手取り額」もまた確実に増えることは、つい忘れられがちです。また、「来月から給料を上げますよ」と言われたら、普通は喜んで受け入れますよね。「いや、支払う税金が増えるから昇給はお断りします」とか、「社会保険料の負担が増えるから一生初任給のままでいいです」などと断ることは決してしないはずです。賃上げや報酬アップは諸手を挙げて歓迎するのに、こと年金となると手取り額の損得計算に固執する方が途端に多くなるのは、正直理解に苦しみます。
繰下げ受給を検討する際は、「税金や社会保険料を1円たりとも負担しないため」ではなく、「豊かな老後を過ごすため」あるいは「長生きに備えるため」を念頭に置くべきです。

以上、公的年金の繰下げ受給に関する代表的な誤解・曲解について解説しました。繰下げ受給に否定的な論者の言説を真に受けて年金受給を早期に開始してしまい、その後予想以上に長生きして経済的に困窮したとしても、これらの論者がその責任を負ってくれることは決してありません。いずれにせよ、判断に迷ったら、「公的年金は長生きリスクに備える保険である」という基本原則に立ち返りましょう。

(※)意外と柔軟! 公的年金の「繰下げ受給」(2020年9月17日上程)
https://fpi-j.com/column/column1390/

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