コラムColumn
執筆者プロフィール
- CFP ファイナンシャル・プランナー
- 生活経済研究所長野 所長
- 2025.11.27
- 貯蓄
宝くじに頼らない資産形成
●プロローグ:廊下の短冊に書かれた「大人の本音」
娘が通う高校のイベントに参加したときのことです。教室近くの廊下に短冊がずらりと張り出され、「大学に合格したい」「部活で優勝したい」といった高校生らしい瑞々しい願い事が並んでいました。その中に、一枚だけ異質なリアリティを放つ短冊がありました。
そこには「宝くじを当てて、大量の奨学金を一括返済したい」と書かれていました。思わず二度見してしまうほど切実で、そして生々しい願いです。一体どんな生徒さんが書かれたのかと思い、娘に尋ねてみると、「それ書いたの、生徒ではなくて高校の先生だよ」「その先生だけじゃなくて、教わっている若い先生は、みんな『奨学金を返している』って言っている」とのこと。
高校生の目に映る高校教師は、これから社会に出ていく自分たちより数歩先を行く「社会人の先輩」です。その多くが、当たり前のように借金を背負っている景色を想像すると、彼らの頭上には、最初から重たい何かがのしかかっているようにも感じられます。
●激変した「当たり前」
かくいう私も学生時代に奨学金は借りていましたが、私が社会人になった1993年当時は、大学生が奨学金を利用する割合はおよそ5人に1人(約20%)程度に過ぎませんでした。しかし、現在は大学生の6割超が何らかの奨学金を利用しています。もはや奨学金は「特別な借金」ではなく、「高等教育を受けるための標準装備」に近い感覚になっています。
「塚原さん、初任給20万円程度の給料だったから大変でしたよ」。奨学金を返し終えたばかりの社会人の方はそう教えてくれました。毎月の返済額を聞けば月4万円だったとのこと。「30歳までには完済したいと思って頑張りましたが、きつかったです」。
想像しましょう。初任給が額面20万円だとします。そこから税金や社会保険料が約2割(4万円)引かれると給与口座に振り込まれるのは16万円。そこからさらに奨学金の返済で4万円が消えるとしたら、実質的な手取りは12万円です。都内で一人暮らしをして家賃を払えば、手元に残るのはわずかな食費と通信費のみ。友人との交際費も、趣味のお金も、そこから捻出しなければなりません。
●それでも「貯めろ」と言うべきか
このような現状を知ると、先輩世代や労働組合の執行部の皆さんは「借金(奨学金)の返済が終わってから、資産形成を始めればいいのではないか」と思われるかもしれません。その優しさはよく分かりますが、ファイナンシャルプランナーとしての私の見解は、むしろ逆方向です。「マイナスがあるからこそ、今すぐハイペースな強制貯蓄を始める必要がある」とアドバイスしています。
これは数式で考えればシンプルです。彼らはスタートラインの「切片(b)」がマイナスなだけです。一次関数(y = ax + b)において、切片 b がマイナス(借金)であるならば、将来プラスの資産(y)を築くためには、傾き(a)、つまり「貯蓄のペース」を人一倍大きくするしか方法がないからです。
私の新卒時代の話を、少しだけ紹介します。初任給は19万2,000円でしたが、先輩の強い勧めで、月11万8,000円を天引き貯蓄に回すことになりました。独身寮の費用と食費を差し引かれた後の手取りはわずか2万6,000円。いま思えば無謀な設定ですが、お金がないなりに、キャンプやバーベキューで遊ぶなど、多くの仲間と工夫しながら楽しむことができました。
その数年の「手取り2万円台生活」の結果、気づけば数百万円単位の「種銭(たねせん)」ができていました。同期の多くがこの苦行を共に乗り越え、20代で住宅購入の頭金を用意し、ローンに極端に苦しまない人生基盤を築けましたが、これは何よりも強く天引き貯蓄を勧めてくれた先輩のおかげです。
●利回りより先に「種銭(たねせん)」を作れ
近年、NISAやiDeCoの普及により、「資産運用」への関心が高まっています。そのためには運用利回りも大事ですが、その元手となる『種銭』はいくらあるのかの方が、ずっと大事です。
例えば、手元に1万円しかない人が、運良く利回り7%で増やせたとしても利益は年間700円で、ランチ1回分にもなりません。一方、必死に貯めて1,000万円の種銭を作った人は、同じ利回り7%の運用で年間70万円を生み出します。資産形成の初期段階で最も重要なのは、「利回り」のテクニックよりも先に「いかに早く、まとまった種銭を作るか」です。
極端な話、利回りは0%であっても構いません。まずは給与天引きを活用し、生活費として認識する前にお金を隔離する。この泥臭く思えるような仕組みが、最短で資産を築く道です。職場には、財形貯蓄や団体年金共済など、あらかじめ用意された「天引きの器」がある場合も多いはずです。自分で毎月口座を移し替えるのではなく、こうした仕組みに一度乗せてしまうことが、若い世代にとっては大きな助けになります。
●若者は「高い目標」でも素直に受け入れる
では、具体的に若い社会人や新入組合員にどうアドバイスすべきでしょうか。「大変だろうから、月5,000円くらいから積立を始めてみたら」。これは、親切に見えて実はかなり心細いアドバイスです。月5,000円の積立では、1年で6万円、10年経っても60万円にしかなりません。これでは、将来、お金周りで苦戦することが確定してしまいます。
私は講演の場で、あえて高い目標を提示しています。「まずは5年で500万円貯めることを目指そう」。ハイペースに思われるかもしれませんが、40年間で4,000万円にしかなりません。今の相場では都市圏の住宅を買うだけの力がないことを考えれば最低線とわかるはずです。
でも、これを実現するには、月額およそ8万3,000円の積立が必要です。手取り20万円弱の若者に対して、月8万円の貯蓄は厳しすぎるアドバイスと感じられるかもしれません。
ここで最大の課題になるのが、実はアドバイスする側の大人の「マインドブロック」です。自分自身がかつてハイペースで貯めた経験のある人なら、「若いうちこそ月8万円ペースで貯めよう」と自然に勧めることができます。しかし、かつて月2万円しか貯めたことがない人にとっては、月8万円という数字は現実離れして見え、「そんなの無理だよ」と感じてしまいがちです。その結果、せいぜい自分の経験値の範囲内でしかアドバイスできず、本来届くはずだった可能性の高い目標を提示できないまま、彼らの将来を苦境に陥れてしまうのです。
奨学金という名の借り入れを持っている人は、「返済額」と「貯蓄額」をセットで考えると分かりやすくなります。たとえば、毎月の返済額が4万円なら、貯蓄額も4万円にして、合計8万円のペースを確保するという発想です。すでにマイナスの返済に耐えているのですから、その負荷を「将来の自分のための貯蓄」にも振り分けていくイメージです。
もちろん、いきなりこの金額を達成するのが難しい人も多いでしょう。現実的には、まず月3万〜5万円にボーナス時の上乗せを組み合わせるなど、自分の家計に合わせた「第一歩の金額」を決めるところからで十分です。大事なのは、「5年で500万円クラスの種銭を作るには、これくらいの負荷が必要なのだ」という現実のサイズ感を、若いうちに知ってもらうことです。
●家庭でできる「第一歩」
ここまで読むと、「うちの家計では月8万円なんて到底無理だ」と感じる方も多いはずです。それでも、家庭で今日からできる第一歩はいくつかあります。携帯電話料金・月額課金料金、保険料などの固定費を、年に1回だけでも本気で見直すこと。こうした一つひとつが、将来の「種銭」を作るための現実的な第一歩になります。
また、労働組合の年金共済制度や、職場の財形貯蓄などの「天引きの仕組み」をフル活用し、まずは100万円、そして500万円という種銭を作るのです。その山を登りきったとき、彼らの目の前には、借金の返済に追われるだけの景色とは全く違う、広大な未来が広がっているはずです。
