圏央道の高架(一之宮)の下のフェンスにひっそりと掲げられた「A事案区域」の看板。戦時中、化学兵器を製造する旧相模海軍工廠の敷地だった場所を示している。18年前のきょう(9月25日)、高架の建設現場から毒ガスの入った数本のビール瓶が見つかった。 All Rights Reserved.当サイト内に掲載の記事・写真等の無断転載を禁止します。.  割れた古い瓶は異臭を放ち、作業員11人が被災、発疹やかぶれなどを発症した。当時の新聞は水膨れやただれといった「びらん状態」になったとも伝えている。防衛庁の分析で、その中身は化学兵器に使われるイペリット(マスタードガス)などと判明した。まもなく現場の掘削や周辺の土壌調査が行われ、11本の毒物入り瓶のほか、不審物を含め約800本が見つかった。これらは近くに作られた「無害化処理設備」で処理され、現場の安全が確認されたのちに圏央道の建設が再開した。 「化学兵器」は材料が容易に入手でき、核兵器よりもはるかに小さなコストで開発・製造、そして敵に大規模な損害を与えることができる兵器といわれます。 各種条約で制限を受けながらも今なお世界中で … 映画などで頻繁に登場する生物兵器ですが、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか?多くの方は「非常に危険で致死率が高い」、「戦争で使われる」、「バイオハザード」というようなイメージが浮かぶのではないでしょうか?, その想像通り生物兵器は恐ろしい兵器です。しかし、幸いなことに私たちはこれらのことをほとんど知りません。, 今回はあまり知られていない生物兵器の真実をご紹介します。   合わせて読みたい関連記事 ・次はあなたが狙われるかもしれない!化学兵器の真実 ・こんな死に方したくない!予想される人類滅亡の原因 ・これ本当に生き返るの?人体冷凍保存の事実, 生物兵器とは、毒性の強い細菌やウイルスを使って人を殺める兵器です。飛行機などを使い敵の頭上にまき散らしたり、ミサイルなどに詰められ直接撃ち込むことにより効果を発揮します。, 勘違いされがちですが、動物などを使った兵器ではありません。動物を使った兵器は「生体兵器」と呼ばれ、全くの別物です。, 生物兵器は核兵器や化学兵器と合わせて国際法によりその使用が厳しく禁止されています。, 生物兵器に使われる細菌やウイルスは核兵器や化学兵器に比べ入手しやすいため、核兵器、科学兵器を含む「三大大量破壊兵器」の中では最も費用対効果が高い兵器と評されています。また、細菌による感染は潜伏期間が存在するため攻撃された側は兵器使用者を見つけることが非常に困難です。, そのため、過去にはオウム真理教などの民間のテロリスト集団が培養していた事実もありました。また、使用が禁止されているにも関わらず秘密裏に研究が進められていたこともあり、国際法があるとはいえ私たちが生物兵器の被害を受けないとは言い切れません。, 大量虐殺を引き起こしたドイツの総統ヒトラーやサイコパスについては関連記事にまとめています。, 合わせて読みたい関連記事 ヒトラーとはどんな人物だったのか?狂気の独裁者が残した逸話と予言, 生物兵器は単純な武器や兵器とは違い、生物を使って対象にダメージを与えるため核や化学兵器に比べ攻撃範囲や威力をコントロールしにくいという欠点があります。また、気象などの影響も非常に受けやすいです。, しかし、細菌に感染した人間が感染源になりさらに他の人間へと拡大していくため、無差別的に使えば最も厄介な攻撃手段になり得るのです。, 細菌やウイルスを兵器に使うというアイデアは紀元前の昔から存在していたといわれています。医学が発達していなかった当時の人々にとって病原菌は大きな脅威でした。, 中世では不治の病として恐れられた「ペスト(黒死病)」に感染した死体を敵の領地に放置しました。, また、18世紀のフレンチインディアン戦争ではイギリス軍が「天然痘」に感染した人間の衣服や毛布をインディアンに使わせました。これによりインディアンの多くが病死するに至りました。, しかし、彼らは科学的に生物兵器を作ることはなく難病を敵になすり付けていた程度でした。20世紀に入り科学技術が発達すると細菌やウイルスの培養が可能になり、真の意味での生物兵器が誕生します。, 生物兵器に使われる細菌やウイルスにはどんな種類のものが存在するのでしょうか。ここでは代表的な病原体の種類や症状などについてまとめています。, 天然痘は、天然痘ウイルスによって感染する感染症です。感染力は強力で、体中に膿疱(膿の集合体)ができます。, 仮に完治したとしても全身に創傷が残り、生涯その影響に苦しめられることになります。不治の病として古くから世界中で恐れられてきた感染症です。, エボラ出血熱は、エボラウイルスを病原体とする感染症です。致死率は現在でも50~90%にもなり、人類史上最も危険なウイルスのひとつとして知られています。, 症状は発熱、悪寒、頭痛から始まり嘔吐、下痢、発疹を経て全身から出血して絶命します。一命を取り止めたとしても重い後遺症に苦しめられることになります。, 日本脳炎は、日本だけでなく南アジアで広く確認されているウイルス性脳炎です。蚊を媒体にしており、ウイルスに感染した蚊に刺されることで発症します。, 高熱、痙攣、意識障害を引き起こし死亡率は30%にもなります。日本脳炎は死亡しない場合でも脳に障害が残るため、致死率だけで危険性を語ることができません。, 黄熱は、蚊を媒体に発症する感染症です。発熱や黄疸(皮膚や眼球が黄色く染まる症状)、黒色の嘔吐物を吐くことから「黒吐病」とも呼ばれています。致死率は30~50%ほどです。, マールブルグ熱は、マールブルグウイルスから発症する感染症です。人間だけでなく動物も発症することがわかっており、発熱、頭痛、嘔吐から吐血、血便を引き起こし最後は死に至ります。, 恐ろしい兵器は何も生物兵器だけではありません。三大大量破壊兵器のひとつ化学兵器については関連記事にまとめています。, 炭疽症は、炭疽菌により感染する人と動物共通の感染症です。皮膚、肺、腸など症状が出る場所により致死率は大きく異なり、皮膚は10~20%、腸は30~50%、肺は90%を超えるといわれています。, コレラは、コレラ菌によって起こる感染症で、未治療での致死率は80%にもなります。一日に30回程度の水便の症状があり、体温は34度まで低下します。, ペストは「黒死病」とも呼ばれ、ネズミを媒体にすることで有名な伝染病です。発症すると40近い高熱が出るほか、リンパや肺などに重篤な障害を与えます。, 地球には有害な物質を体に秘めた有毒な生物が多数存在しています。症状が恐ろし過ぎる猛毒生物については関連記事にまとめています。, 合わせて読みたい関連記事 地球に存在する最凶の毒!ヤバすぎる生物・植物・キノコたち, ボツリヌストキシンはボツリヌス菌が生成する毒素です。ボツリヌス菌が引き起こす食中毒の原因になり、非常に毒性が強いことで知られています。, 500グラムあれば全人類を滅ぼすことができるといわれている毒性の強さに加え、比較的入手難度が低いためテロリストも保有しやすい危険な毒素です。, ブドウ球菌性腸毒素はブドウ球菌が生成する毒素です。消化器官で分解されない毒素で重篤な食中毒を引き起こします。, 破傷風菌毒素は破傷風菌が生成する毒素です。この毒素は神経毒で、全身に強力な痙攣を引き起こします。, その痙攣の激しさから背骨を骨折し死に至るケースもあります。致死率は50%ほどですが、幼児が感染すると90%以上死に至ります。, 生物兵器から身を守るには一体どうすればいいのでしょうか?ここでは生物兵器が使われた際の感染予防手段をまとめています。, 伝染病の元になる細菌を死滅させるために口に入れる食料品は水も含めすべて加熱処理をします。加熱する際は焼くのではなく、長時間煮込むことが必要です。, 食料品に細菌やウイルスが付着することを防ぐため、食料品はすべて密封保存します。保存に使う容器はプラスチック製のものが効果的だといわれています。, 不特定多数の人間が使用する公衆トイレは伝染病の病原菌が付着している可能性があります。日本の公衆トイレは世界的にも清潔ですが、それでも注意が必要です。海外の公衆トイレはさらに危険だと認識してください。, 生物兵器によって空気が汚染された場合はガスマスクを着用する必要があります。普通の布マスクでは意味がありません。, 兵器の開発には天才科学者の存在が欠かせません。大量破壊兵器に関係していると言われている天才アインシュタインについては関連記事にまとめています。, 合わせて読みたい関連記事 天才アインシュタインの意外過ぎる逸話!日本や核兵器にも関係ある?, スイス政府が発表している「民間防衛」の中に伝染病に感染した際の対処法が記されています。ここではその対処法をご紹介します。, 伝染病に感染したと思われる場合は、直ちに最寄りの医師、看護師、救護所に知らせてください。対応する医師や看護師は固定の担当を決め、患者は他者と隔離します。, 伝染病が確認された場合は、その地域の住民は警護員からの指示に従い対応措置を取ってください。生物兵器対策班は医師と協力し、その発生源を特定し対応策を発表します。, 生物兵器に汚染されたと考えられる物品は検査が済み許可が下りるまで使用してはいけません。また、食品工場や倉庫、店舗などは感染者やその疑いがある者、部外者の立ち入りを監視しなければなりません。, そのために当局(スイス政府民間防衛)が定めた規則を厳重に順守しなければなりません。, いかがでしたか?生物兵器に限らず、大量破壊兵器や武器は厳しく規制していかなければなりませんね。もちろん所持しないことが一番の解決策なのは言うまでもありません。, GIBEON(ギベオン)は宇宙、地球、動物の不思議と謎を発信するミステリー情報メディアです。眠れない夜の暇つぶしにでもなれば幸いです。. 化学兵器の毒作用と治療. © 2020 ギベオン – 宇宙・地球・動物の不思議と謎 All rights reserved. 1997年化学兵器禁止条約発効後、1999年、日中覚書協定が結ばれ、ようやく遺棄毒ガスの処理が始まりました。 (推定200万発)。 処理事業は毒ガス弾等の処理だけで、被害者に対する医療、生活支援は行わ … 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 10:27 UTC 版), 化学兵器使用の起源は、化学兵器の定義によって異なってくる。広い定義をとれば、古くは唐辛子を燃した煙を利用するものが明代の中国の書物にも登場している。より殺傷力のある兵器として人類史上初めて使用された化学兵器は、ペロポネソス戦争でスパルタ軍が使用した亜硫酸ガスであるといわれている。, 近代に入ると科学技術の発達や化合物の発見などから、より効力の大きな毒物が開発された。ナポレオン戦争時には、銃剣にシアン化水素(青酸)を塗ることがプロイセン軍に対して提案されたが、採用はされなかった[5]。このような状況から化学兵器の本格使用に対する危惧も生まれ、1899年には毒ガス禁止宣言などがされた。日露戦争では硫黄ガスが使用された。, 化学兵器がその威力のほどを広く知らしめたのが第一次世界大戦だった。1914年からイギリス・フランス・ドイツの各国が、クロロアセトンやヨード酢酸エチルなどの催涙剤の配備を始め、遅くとも1915年3月までには散発的な催涙ガスの実戦使用が行われた。塹壕戦で戦線が膠着する中で、突破手段としての期待が化学兵器に集まるようになった。, 中でもハーバー・ボッシュ法の開発で知られるフリッツ・ハーバーを擁したドイツは毒ガス開発で他国に大幅に先んじることとなり、1915年1月31日、ドイツ軍が東部戦線のボリモウ(英語版)(Bolimow)でロシア軍に対して初めて大規模な毒ガス放射を実施した。さらに4月22日にイーペル戦線でフランス軍に対して塩素ガスを使用し、化学兵器の脅威が世界的に知られるようになった。この戦いでは5700本のボンベに詰められた150~300tの塩素が放出され、フランス軍を局地的に壊乱状態に陥れた。イギリス軍も同年9月には塩素ガスを使用した。同年12月にはドイツ軍がホスゲンガスを同様に使用し始め、改良型のジホスゲンも使われるようになった。これらは風向きを考慮に入れ、相手陣地の風上からいぶすような方法が取られた。, これらのガスを吸引した兵士は、高濃度のガスにさらされればもちろん全身の組織を塩素による化学反応で破壊されて死亡したわけだが、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、死亡しないまでも、呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむことから、非人道的な兵器として恐れられた。, まもなくガスマスクが広く利用されるようになると、吸引によって作用するだけではなく、直接皮膚に損傷を与える化学兵器の開発が進められた。そして実用化されたのが、皮膚に作用するびらん剤の一種であるマスタードガスで、1917年7月12日にイーペル戦線で投入された。マスタードガスは、浸透性が強く防護が困難で、最初の使用地名から「イペリット」と恐れられるようになった。英仏米もマスタードガスの実戦投入を進め、当時ドイツ軍の一兵士として前線にいたアドルフ・ヒトラーもマスタードガスで負傷したと言われる。, 運用法も改良が進み、ボンベ解放方式に代わって、化学剤を充填した化学砲弾や、イギリスのリーベンス投射器のような毒ガス撒布兵器が開発された。ガスマスクへの対抗策として、フィルターを浸透しやすい種の催涙ガスを混用し、ガスマスク装着を困難とさせる戦術も行われた[6]。敵軍の士気を落とす目的で、無毒な煤煙でいぶす戦術も行われたという。, 第一次世界大戦中に開発された化学剤の種類は約30種に及んだ。米英独仏の4ヶ国で生産された化学剤の総量は、塩素が19万8千t、ホスゲンが19万9千t、マスタードガスが1万1千tとされる。中でも化学工業の発達していたドイツの割合が高く、塩素の5割、ホスゲンの9割、マスタードガスの7割がドイツで生産された。うち12万4千t(化学砲弾など6600万発)が実戦使用された。イギリス国防総省によると、化学兵器による両軍の死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという[6]。, 1920年代から趙恒惕、曹錕、馮玉祥、張作霖ら北洋軍閥の総帥たちは皆、化学兵器への関心を表明していた[7]。張作霖が瀋陽に化学兵器製造施設を建設するためドイツのウィッテ社と契約し、マスタードガス、ホスゲン、塩素ガスの製造を監督させるためにロシア人とドイツ人の化学技術者を雇ったことが報告されている[7]。また、趙恒惕は、1921年8月に比較的少数のガス発生弾を受領している[7]。しかし、呉佩孚は、化学兵器が非人道的であると非難した[7]。軍閥間の衝突が起きていた時期の化学戦に関する確認された報告はなく、ソビエト連邦による化学兵器の訓練や装備に関する国民党と共産党への支援を証明するものはない[7]。1920年代から1930年代前半にかけてのソビエト連邦及びドイツとの化学兵器分野での協力から化学兵器の知識は手に入れていた可能性は高い[7]。, 1925年にはジュネーヴ議定書が締結され、戦争における化学兵器使用が禁じられたが、生産・開発・保有は禁止されなかったため[2]、なお国家間での戦闘でも化学兵器使用はなくならなかった。第二次エチオピア戦争ではイタリア陸軍がエチオピア軍に対して、マスタードガスを使用した。もっとも軍事的な効果は余りなく、そもそも期待されてもいなかった[8]。イタリア側はエチオピア側のダムダム弾の使用に対する報復として化学兵器の使用を決定している[8]。1930年、霧社事件鎮圧のため、11月3日、渡辺錠太郎台湾軍司令官は宇垣一成陸軍大臣に宛てびらん性の投下弾及び山砲弾の交付及び使用許可を求めたが、11月5日、陸軍省は対外的その他の関係上詮議できないと回答した。そのため、台湾軍は台湾総督府中央研究所に「特殊弾」 (青酸瓦斯と催涙性瓦斯を発生させる甲三弾)の試作を命じ、11月8日、少なくとも三発を航空機より投下させたが、効果は不明であった。その後、11月14日、山砲用催涙弾 (みどり、甲一弾)300発が「恒春丸」に積まれて基隆に到着し、うち100発が18日の総攻撃で使用されたが、軍による効果についての評価は明白でない[9]。, 1938年出版の『戦時歩兵教育の参考』の中、中国家屋の掃蕩要領に関して「○ガス」と焼夷弾の使用を示唆する記述がある。[10]日中戦争開戦から2年後の1939年5月、参謀総長・閑院宮載仁親王の名前で大陸指第452号が出され、中国北部の北支那方面軍司令官に対し、「きい剤」を使用した作戦の研究が指示された[11]。同時に「支那軍以外」への被害は極力少なくするように指示するなど「使用の秘匿」のために万般の処置が講ぜられた[11]。1939年7月の晋東作戦で北支那方面軍所属の毒ガス戦部隊が、中国軍相手に「あか」弾約230発、「きい」弾約50発を砲撃した戦闘詳報が見つかっている[12]。, 1940年から1945年まで、蒋介石と国民党は兪大維の直接指揮の下で納渓で化学戦センターを運用し、精鋭の第一化学打撃師団の司令部も同地に置かれた[13]。また、昆明にはジョン・ミドルトン准将の指揮する化学司令部があった[13]。1943年、第一連隊はビハール州のラームガル訓練センターで米軍の化学戦部隊の将校により教育を受けた[13]。1945年、第三連隊は化学迫撃砲兵部隊として運用された[13]。これら化学戦部隊の国共内戦後の運命は不明であるが、日本軍が放棄した化学兵器とアメリカから国民党に引き渡された化学弾は、1949年に共産党の手に落ちた[13]。, 「毒ガスが使用される」という風評被害により軍隊内の士気が低下する問題が指摘されたほか、毒ガスを航空機や投下する爆弾や大陸間弾道ミサイルにより散布する技術の発達により、非戦闘地域にいる民間人にまで化学兵器に対する恐怖心が蔓延し、社会問題となった。[要出典], 第二次世界大戦後、冷戦時代になっても化学兵器研究は続いた。ドイツの技術を基礎としたVXガスなどの神経ガスが開発された。特に赤狩りの頃には、化学兵器による侵略やゲリラ的な活動が懸念され、大きな社会不安となってあらわれた。核兵器に比べて開発が容易な「貧者の核兵器」としても警戒された。, アメリカは、ベトナム戦争において、森林での戦闘に長けていた南ベトナム解放民族戦線に苦戦していたことから、焼夷弾による森林の焼き討ちと平行して、大規模な枯葉剤の散布を実行した。枯葉剤にダイオキシン類が混じっていたことから、広範囲に汚染を引き起こし、ベトナム全土で異常出産の問題を発生させたともいわれる。, イラン・イラク戦争では、イラク軍が、イラン軍や国内のクルド人地区に対して神経ガスやマスタードガスを使用した。1987年6月28日にはイラク軍がクルド人が居住するサルダシュトへガス攻撃を実施。市街地の民間人を故意に標的にした初の化学兵器による攻撃となった[14]。また1988年にはクルド人住民多数が死亡するハラブジャ事件が発生した。, 湾岸戦争でも、イラク軍がイスラエルなどに対して化学兵器搭載の弾道弾を使用するのではないかと警戒されたが、これは実際には使用されなかった。ほかには北イエメン内戦でのエジプト軍による使用など、紛争地域における化学兵器の使用を行う事例が見られた。なお、イラクの化学兵器はイラク武装解除問題で争点となり、イラク戦争のきっかけともなった。, 化学兵器禁止条約(CWC)の成立などにより、国家間の紛争解決手段としての化学兵器使用にはかなりの制約がかかるようになった一方で、テロリストが使用することが危惧されている。また旧東側諸国ではソビエト連邦崩壊時のような国家体制の激変時に軍隊が保有していた化学兵器が(核兵器や生物兵器と同様に)不法に流出したのではないかと危惧されている。, 1994年には、世界で初めての化学兵器による無差別テロである松本サリン事件が、日本でオウム真理教により起こされた。この事件では、7名の死者・660人の負傷者を出した。この事件の後、同教団は1995年に再び、東京都地下鉄内で地下鉄サリン事件という大規模なサリンガスによるテロ事件を起こして、死者12名、負傷者5,510名という大惨事となった。, この事件を受け、日本ではサリン等による人身被害の防止に関する法律をはじめとする国内法による規制を強化し、自衛隊では従来の災害救助任務の範疇に、毒ガス汚染に対応することを決定した。他の国でも年々悪化するテロリストの問題に、化学兵器に対する備えを始める所も出てきた。, また、暴動鎮圧や対テロ戦闘用などの非致死性兵器としては、広義の化学兵器に含まれる薬剤の研究、配備が現在も行われている。実戦例としてモスクワ劇場占拠事件においては、ロシア治安部隊が、無力化ガスと称するKOLOKOL-1を使用した。ただし、結果として人質を含む129名が中毒死しており、KOLOKOL-1の非致死性には疑問が生じている。計画のみで終わったものとしてオカマ爆弾が知られる。, 2013年にはシリア内戦においてサリンなどの化学兵器が使用され、アサド政権側の仕業とした欧米が軍事介入を示唆、10月にシリアは化学兵器禁止条約に加盟し、備蓄していた化学兵器の全面廃棄に合意した。これを受けて、調査や廃棄活動に従事した化学兵器禁止機関に同年のノーベル平和賞が授賞された。しかし2017年にアサド政権が再び化学兵器を使用したとして、アメリカ軍がシリアのシャイラト空軍基地に巡航ミサイル攻撃を行っている。, 2014年にはイスラム過激派組織・ISILがイラクでの戦闘で塩素ガスを使用したと報じられた。, 化学兵器のページの著作権Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。, ビジネス|業界用語|コンピュータ|電車|自動車・バイク|船|工学|建築・不動産|学問文化|生活|ヘルスケア|趣味|スポーツ|生物|食品|人名|方言|辞書・百科事典, 「赤剤及び緑剤については、生命活動に対する化学作用により、人または動物に対し一時的に機能を著しく害する状態を引き起こし得ることから、条約上の毒性化学物質、すなわち化学兵器に該当するということで、私ども、これを判定いたしております。」(, "China's Role in the Chemical and Biological Disarmament Regimes", Declaration on the Use of Projectiles the Object of Which is the Diffusion of Asphyxiating or Deleterious Gases; July 29, 1899, All text is available under the terms of the. 毒ガス/化学兵器. 化学兵器使用の起源は、化学兵器の定義によって異なってくる。広い定義をとれば、古くは唐辛子を燃した煙を利用するものが明代の中国の書物にも登場している。より殺傷力のある兵器として人類史上初めて使用された化学兵器は、ペロポネソス戦争でスパルタ軍が使用した亜硫酸ガスであるといわれている。 近代に入ると科学技術の発達や化合物の発見などから、より効力の大きな毒物が開発された。ナポレオン戦争時には、銃剣にシアン化水素(青酸)を塗ることがプロイセン軍に対して提案されたが … スピアーズ, Spiers, Edward M., ゆうこ, 上原の化学・生物兵器の歴史。アマゾンならポイント還元本が多数。エドワード・M. 歴史上で、初めて化学兵器が正式に使用されたのは 1915 年で、ドイツが第一次世界大戦で、ベルギー・イーブルを占領するために使用されました。 この攻撃による死者は、 5 千人から 1 万 5 千人と伝え … 第一次世界大戦でドイツ軍が初めて使用した新兵器。殺傷能力のある有毒ガスを噴射して敵軍に打撃を与えようとするもの。非人道的兵器として国際的には使用は禁止されたが、その後も使用の例が見られる。 生物兵器の歴史 ... 5000トンの化学兵器と、生物兵器に使われる13種類のウイルス・細菌を保有している可能性があると指摘し、北朝鮮を世界最大の化学・生物兵器保有国の1つと認定。 要旨 化学兵器は第一次世界大戦中に誕生し盛んに使われたが,そ の後大規模にはあまり使われ なかった。しかし最近その有用性が再認識され,こ の古い兵器が再び脚光を浴びるようになった。 【ニコニコ動画】現代の驚異 「生物化学兵器」化学兵器(かがくへいき)とは、毒ガスなどの毒性化学物質を使い人や動物に対して被害を与えるために使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。リシンや細菌毒素などの生物由来の毒性物質を用いる場合は、化学兵器ではなく生物兵器に分類されることが多い。 概要化学兵器は、NBC兵器の一角“C”(Chemical)をなす大量破壊兵器のひとつである。一般的には毒ガスとして知られるが、常温下で気体であったり高い揮発性を持っていたりするものばかりではなく、液体が噴霧された霧状の状態で効果を発揮するものも含む。今日の「毒ガス」兵器と呼ばれる物は、常温下に於いて液体(粘度の高いものを含む)の物が多い。マスタードガス(イペリット)やサリンやVXガスなどが著名である。化学兵器と呼ばれる範囲は時代や条約によって若干異なり、警察の催涙ガスとして現用されるクロロアセトフェノン(CNガス)のように後遺症の恐れは少ないものも、軍事用に使われれば化学兵器に含めることがある。化学兵器禁止条約では、2条に化学兵器の定義を置き、このほか特に検証措置の対象とする種類については附属書の表に記載している。日本政府の同条約解釈では、致死率の低いジフェニルシアノアルシンないしジフェニルクロロアルシン(両者の旧日本陸軍呼称「あか剤」)及びCNガス(同じく「みどり剤」)を化学兵器としている。近代的な化学兵器は第一次世界大戦で登場し、大量に使用された。しかしその後は、禁止条約が発効したことに加え、後述する特性から運用が難しいために実戦使用例は限られている。初期には有害で人体を蝕む化学反応を起こす物が利用されたが、1930年代後半にはサリンなどに代表される神経性の毒物(神経ガス)が開発された。神経性の毒物は、神経系の信号伝達を不可能にして破壊する事から、少量でも致命傷となり、生存しても予後が悪く運動機能や感覚機能に後遺症が残りやすいとされる。また人体の代謝機能を破壊し、徐々に人体を蝕む薬品もあり、即効性は無いものの致死性のこれら兵器では、予後は極めて悪い。致死率は低くとも重篤な後遺症の危険性があるものもある。冒頭で述べたように、毒ガスとは称しても常温・常圧では液体や固体の物が多く、霧状や微粉末にして散布したり、砲弾や爆弾に充填して爆発の衝撃で飛散させることによって兵器としての効果を発揮する。ミサイルやロケット弾の弾頭、さらには地雷や手榴弾に充填して使用されることもある。常温で塩素などは、ボンベに充填して戦場に散布する方法もある。なお、過去には毒ガス以外に刃物に毒物を塗るといった研究もされているが、近代戦での実用例はない。 兵器としての特性兵器としては以下のような「長所」を持つ。 * 防護装備の不十分な目標に対しては、一度に多数の死傷者を生じさせることができる。(大量破壊兵器) * 核兵器に比べると、開発や生産が技術的に容易である。 * 心理的効果が高く、敵兵に恐怖心を与える。 * 火薬使用量が少なく、通常弾薬の生産と競合しにくい。 * 種類によっては殺傷効果に持続性があり、敵の進撃経路を継続的に限定できる。他方で、次のように兵器としては運用が限定される「短所」もある。 * 散布状況が天候や風向きに左右されて効果が予想できず、味方や非戦闘員(民間人)に被害を与えかねないこと。 * 現在では戦線の歩兵はガスマスクを携行し、車両は対NBC兵器装備を備えているのが普通なので効果が薄いこと。 * 大量生産するにはある程度の化学工業水準を要すること。特に第一次世界大戦頃では、量産能力のある国は限られた。 * 被害者に障害が残ること。 * 環境被害があること。特に持続性がある種類のもの。 * 化学兵器による報復を招く恐れが高いこと。現代の正規戦用兵器としてみると、法的問題からの制約のみでなく、技術的にも運用が難しい面があるといえる。防護の充実した目標には、行動を阻害することはできるものの、効果は限定的といえる。もっとも、民間人のような防護不十分な目標に対する攻撃方法としては有効であるため、しばしば利用される。例えばイラクのフセイン政権はクルド人虐殺に使用したとされている。すなわち、軍隊に効果が薄く民間人には被害が出やすい兵器ということがいえ、その点こそが条約で禁止されている原因でもある。また、オウム真理教のサリン散布事件が示すように、ある程度の化学的知識と市販の試薬とで合成が可能である。このことから化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれ、核兵器を開発するために必要な技術・資金に乏しい国、あるいはテロ組織による生産・利用が危惧されている。 分類即効性と遅効性化学兵器は即効性のものと遅効性のものが存在する。 * 即効性:殺傷目的(例:サリン、VXガス) * 遅効性:環境汚染目的(例:マスタードガス)即効性のものは主に戦場において敵兵士を即時に殺傷することを目的としている。一般に殺傷能力の点では優れるが、環境中に放たれてから分解されるまでの時間が短く、加害の持続効果はあまりない。神経ガスの多くが該当する。遅効性のものは、即効性のものより一般に殺傷能力の点では劣るが、環境中での分解に時間がかかるため、長時間散布地域一帯を汚染する効果がある。場合によってはその汚染事実が被害側には容易に判別できないために、汚染の拡大が期待でき、拡大後に効果が生じることになる。戦場であれば比較的後方の補給路や集積地、又は都市部や農地への無差別的な攻撃によって、補給能力、指揮能力、産業経済、政治、医療負担などの多様な方面から継戦能力を減殺する目的で使用される。ただし、第一次世界大戦などでのマスタードガスのように前線利用がされることもある。超遅効性の化学兵器であれば、接触後、数年から十数年、あるいは数十年経過したのち効果を表す。致死性と非致死性化学兵器は致死性と非致死性に分類されることがある。もっとも、非致死性と呼ばれていても、文字通りに死亡の危険がないわけではなく、濃度や暴露時間などによるため分類は相対的である。例えば、モスクワ劇場占拠事件においては、非致死性のはずの無力化ガスと称するKOLOKOL-1が使用された結果、人質を含む129名が死亡する事態となっている。 使用の歴史前史化学兵器使用の起源は、化学兵器の定義によって異なってくる。広い定義をとれば、古くは唐辛子を燃した煙を利用するものが明代の中国の書物にも登場している。より殺傷力のある兵器として人類史上初めて使用された化学兵器は、ペロポネソス戦争でスパルタ軍が使用した亜硫酸ガスであるといわれている。近代に入ると科学技術の発達や化合物の発見などから、より効力の大きな毒物が開発された。ナポレオン戦争時には、銃剣にシアン化水素(青酸)を塗ることがプロイセン軍に対して提案されたが、採用はされなかった。クリミア戦争においてイギリス軍が実験的に使用したという記録もある。このような状況から化学兵器の本格使用に対する危惧も生まれ、1899年には毒ガス禁止宣言などがされた。警察用にはフランスで臭化酢酸エチルなどの催涙ガスが実用化された。第一次世界大戦化学兵器がその威力のほどを広く知らしめたのが第一次世界大戦だった。1914年からイギリス・フランス・ドイツの各国が、クロロアセトンやヨード酢酸エチルなどの催涙ガスの配備を始め、遅くとも1915年3月までには散発的な催涙ガスの実戦使用が行われた。塹壕戦で戦線が膠着する中で、突破手段としての期待が化学兵器に集まるようになった。そして、1915年4月22日、イーペル戦線でドイツ軍が塩素ガスを使用した。これが最初の毒性の強い化学兵器の実戦使用であるとされている。この戦いでは5700本のボンベに詰められた150〜300tの塩素が放出され、フランス軍を局地的に壊乱状態に陥れた。イギリス軍も同年9月には塩素ガスを使用した。同年12月にはドイツ軍がホスゲンガスを同様に使用し始め、改良型のジホスゲンも使われるようになった。これらは風向きを考慮に入れ、相手陣地の風上から燻すような方法が取られた。これらのガスを吸引した兵士は、高濃度のガスに晒されれば勿論全身の組織を塩素による化学反応で破壊されて死亡した訳だが、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、死亡しないまでも、呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむ事から、非人道的な兵器として恐れられた。まもなくガスマスクが広く利用されるようになると、吸引によって作用するだけではなく、直接皮膚に損傷を与える化学兵器の開発が進められた。そして実用化されたのが皮膚に作用するびらん剤の一種マスタードガスで、1917年7月12日にイーペル戦線で投入された。マスタードガスは浸透性が強く防護が困難で、最初の使用地名からイペリットと恐れられるようになった。英仏米もマスタードガスの実戦投入を進め、当時ドイツ軍の一兵士として前線にいたアドルフ・ヒトラーもマスタードガスで負傷したと言われる。運用法も改良が進み、ボンベ解放方式に代わって、化学剤を充てんした化学砲弾や、イギリスのリーベンス投射器のような毒ガス撒布兵器が開発された。ガスマスクへの対抗策として、フィルターを浸透しやすい種の催涙ガスを混用し、ガスマスク装着を困難とさせる戦術も行われた。敵軍の士気を落とす目的で、無毒な煤煙で燻す戦術も行われたという。第一次世界大戦中に開発された化学剤の種類は約30種に及んだ。米英独仏の4ヶ国で生産された化学剤の総量は、塩素が19万8千t、ホスゲンが19 万9千t、マスタードガスが1万1千tとされる。中でも化学工業の発達していたドイツの割合が高く、塩素の5割、ホスゲンの9割、マスタードガスの7割がドイツで生産された。うち12万4千t(化学砲弾など6600万発)が実戦使用された。英国国防総省によると化学兵器による両軍の死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという。戦間期・第二次世界大戦第一次世界大戦により普及した化学兵器は、内乱鎮圧などの手段としても使用されるようになった。ロシア内戦ではミハイル・トハチェフスキー率いる赤軍がタンボフ州の反乱を鎮圧させるために使用し、作戦は成功したものの多数の死者が出た。第3次リーフ戦争(1920年〜1926年)でスペイン陸軍がリーフ軍に対し毒ガス(マスタードガスである可能性が高い)を使用した。既に1925年にジュネーヴ議定書が結ばれ、数年後に正式な発効が行われることになっていた中での「駆け込み使用」であった。1925年にはジュネーヴ議定書で戦争への化学兵器使用を禁じ締結されたが、なお国家間での戦闘でも化学兵器使用はなくならなかった。第二次エチオピア戦争ではイタリア陸軍がエチオピア軍に対して、マスタードガスを使用した。もっとも実際の効果は薄かったとも言われる。日中戦争で日本軍は、中国軍兵士を陣地から炙り出すために、非致死性の嘔吐ガスである「あか」や催涙ガスの「みどり」を使用していた。実験的にマスタードガス(日本軍呼称「きい」)も使用したと言われる。新型の化学兵器開発も続き、1920年にはアメリカでルイサイトが軍用として実用化された。1930年代後半には、ドイツで、タブンやサリンなど画期的な神経ガスが開発された。しかし、第二次世界大戦においては、本格的な化学兵器使用は見られなかった。これはジュネーヴ議定書違反となることを避けたほかに、防護装備の充実した正規軍同士の戦闘で効果が薄く、報復攻撃を受けることを恐れていたためでもある。ただし、多くの国が実戦使用の可能性を考えて準備をしており、例えばイタリア戦線ではマスタードガスを備蓄していたアメリカ軍輸送船が被弾し、米軍兵士と市民83名が死亡、617名が負傷する事故が起きている(ジョン・ハーヴェイ号事件(en))。アメリカ軍は優れた防毒マスクを開発、装備していたので、日本本土攻撃に大規模なマスタードガスを使った毒ガス攻撃を準備、計画していた。「毒ガスが使用される」という風評被害により軍隊内の士気が低下する問題が指摘された他、毒ガスを航空機や投下する爆弾や大陸間弾道ミサイルにより散布する技術の発達により、非戦闘地域にいる民間人にまで化学兵器に対する恐怖心が蔓延し、社会問題となった。冷戦期第二次世界大戦後、冷戦時代になっても化学兵器研究は続いた。ドイツの技術を基礎としたVXガスなどの神経ガスが開発された。特に赤狩りの頃には、化学兵器による侵略やゲリラ的な活動が懸念され、大きな社会不安となってあらわれた。核兵器に比べて開発が容易な「貧者の核兵器」としても警戒された。アメリカは、ベトナム戦争において、森林での戦闘に長けていた共産側ゲリラに苦戦していた事から、焼夷弾による森林の焼き討ちと平行して、大規模な枯葉剤の散布を実行した。枯葉剤にダイオキシン類が混じっていたことから、広範囲に汚染を引き起こし、ベトナム全土で異常出産の問題を発生させたともいわれる。イラン・イラク戦争では、イラク軍が、イラン軍や国内のクルド人地区に対して神経ガスやマスタードガスを使用し、クルド人住民多数が死亡するハラブジャ事件が発生した。湾岸戦争でも、イラク軍がイスラエルなどに対して化学兵器搭載の弾道弾を使用するのではないかと警戒されたが、これは実際には使用されなかった。ほかには北イエメン内戦でのエジプト軍による使用など、紛争地域における化学兵器の使用を行う事例が見られた。なお、イラクの化学兵器はイラク武装解除問題で争点となり、イラク戦争のきっかけともなった。現在化学兵器禁止条約(CWC)の成立などにより、国家間の紛争解決手段としての化学兵器使用にはかなりの制約がかかるようになった一方で、テロリストが使用することが危惧されている。生物兵器とあわせて「貧者の核兵器」と呼ばれ、また旧東側諸国ではソビエト連邦崩壊時のような国家体制の激変時に軍隊が保有していた化学兵器が(核兵器や生物兵器と同様に)不法に流出したのではないかと危惧されている。1994年には、世界で初めての化学兵器テロが、日本でオウム真理教により起こされた。この松本サリン事件では、7名の死者・660人の負傷者を出した。この事件の後、同教団は1995年に再び、東京都地下鉄内で地下鉄サリン事件という大規模なサリンガスによるテロ事件を起こして、死者12名、負傷者5,510名という大惨事となった。この事件を受け、日本では国内法による規制を強化し、自衛隊では従来の災害救助任務の範疇に、毒ガス汚染に対応する事を決定した。他の国でも年々悪化するテロリストの問題に、化学兵器に対する備えを始める所も出てきた。また、暴動鎮圧や対テロ戦闘用などの非致死性兵器としては、広義の化学兵器に含まれる薬剤の研究、配備が現在も行われている。実戦例としてモスクワ劇場占拠事件においては、ロシア治安部隊が、無力化ガスと称するKOLOKOL-1を使用した。ただし、結果として人質を含む129名が中毒死しており、KOLOKOL-1の非致死性には疑問が生じている。計画のみで終わったものとしてオカマ爆弾が知られる。防護手段化学兵器に対する防護手段は、化学剤の影響を防ぐ防毒、化学兵器使用を速やかに察知するための検知、化学兵器による汚染を除去する制毒・除毒などからなっている。敵対する両陣営が毒ガスに対し拮抗した技術や装備を持った場合は、お互い報復を恐れて毒ガスが使用される事は少ないが、相手の装備が劣っていて報復の恐れがない場合は容赦なく使用される可能性がある。したがって、今日も何処の軍隊でも対化学装備は欠かせない。まず、防毒対策として、吸引を防ぐガスマスクや、びらん剤などにも対抗するための化学防護服が開発されている。軍馬などの動物兵器用のものもある。現代の装甲戦闘車両の多くは、一定の気密性能や空気清浄フィルターなどを備え、化学兵器対策を含めたNBC防護を施されている。なお、付着した化学剤による汚染拡大を防止するために、使用した車両や衣服の洗浄等も重要である。化学兵器は視認困難なものが多いので、各種の検知器が研究されている。西側各国で現用されている代表的な検知キットとしてM256A1が挙げられ、これは検知紙による試験を行うものである。最も原始的な検知手段としては、毒物に敏感なカナリアなどの小鳥を用いる方法がある。マスタードガスなどのように特有の臭気があるものは、人間が臭気を感知して速やかに防毒装備を着用することで、被害が軽減される。高級な検知手段としては、日本の化学防護車のような化学偵察車両を配備している例もある。戦場においては、汚染された地域を行動する必要が生じる場合もあるので、汚染を除去ないし軽減させて軍隊の通行を可能にするような制毒手段が用いられることもある。具体的には使用された化学剤の種類にもよるが、土壌に定着しているマスタードガスなどに対してはさらし粉を撒布する方法や、地面を掘り返して清浄な土砂で通路分の地面を覆う方法などがある。サリンは水と反応させることで加水分解できる。これらの防護手段は軍用に限ったものではなく、民間防衛の一環としても用いられる。特に、都市に対する使用が警戒された第二次世界大戦などでは、市民へのガスマスク配備が行われた。NBCテロへの警戒感の高まりから、テロとしての化学兵器使用を想定した民間向けの対策がとれている例もある。 法的規制法的規制の経緯1899年にハーグで開かれた万国平和会議において、最初の明文による化学兵器の国際規制が決められた。この会議では、「ハーグ陸戦条約」23条で毒物(1号)及び不必要な苦痛を与える兵器・物質(5号)の使用禁止が規定されたほか、窒息性ガス・毒ガスの使用を禁ずる「毒ガスの禁止に関する宣言」も採択された。後者は、窒息性ガス及び有毒ガスの撒布を唯一の目的とした投射物の使用を禁止した内容だったが、ボンベから放出される方式の化学兵器は許されるとの解釈の余地があるなどの問題があった。第一次世界大戦では、これらの条約にも関わらず、各国による化学兵器の大量使用を防止することはできなかった。第一次世界大戦での化学戦の悲惨な結果を踏まえ、1925年には「ジュネーヴ議定書」(「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)が締結された。この条約により戦争での化学兵器使用が禁止されることとなったが、保有や研究までは禁止されなかった。議定書は1928年に発効した。第二次世界大戦後の1968年に国連軍縮委員会の議題として化学兵器の禁止があがり、翌年にはウ・タント国連事務総長の提出した報告書「化学・細菌兵器とその使用の影響」が契機となり、国連総会で化学兵器・生物兵器の禁止決議が採択された。1972年に生物兵器の保有禁止を定めた「生物兵器禁止条約」にも、化学兵器の生産や貯蔵の禁止に向けた交渉努力規定が盛り込まれている(9条)。その後もジュネーブ軍縮委員会での協議や米ソ間の2国間条約締結が行われ、ついに1992年には「化学兵器禁止条約」により、使用だけでなく軍事目的の保有や研究も多国間条約で規制されるに至った。このほか、日本では、オウム真理教による化学テロをきっかけに化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律やサリン等による人身被害の防止に関する法律といった国内法による化学テロ予防を行っている。合法的な使用化学兵器禁止条約下でも、同条約第2条9項の規定により、国内の暴動鎮圧を含む法の執行のための目的で化学兵器を使用することは認められている。一般的に考えて非致死性の物についてのみ適用されるべきであるが、使用を認める物質と禁止されている物資の明確な規定は無い。また、たとえ非致死性であるとしても暴露量によっては生命に影響する可能性があり、実際にロシアではモスクワ劇場占拠事件において無力化ガスと称するKOLOKOL-1の使用で人質を含む129人の死者を出し犯罪者は全員死亡している。個人の護身目的の使用については規定が無いため、催涙スプレーなどに条約で禁止されている物質が使用されている場合の扱いについては各国の司法判断に任されている。実情として、トウガラシスプレー(OCガス)のような禁止物質を使う市販品は珍しくない。 化学兵器の廃棄処理化学兵器の特性上、使用期間切れや条約による規制などで廃止とされた化学兵器の廃棄については、注意深い処理を行うことが必要である。主に反応性の強い薬品では、太陽光に含まれる紫外線などの働きにより、短期間で無害な物質に分解するとされるが、中には長期間の汚染を発生させ、核兵器程ではないにせよ周辺環境を悪化させる物もある。無毒化処理には強酸性や強アルカリ性の薬品と反応させたり、強力な紫外線照射や電流といったエネルギーを与え、分解又は化合を促す事で無毒化させる。または大量注水して安全濃度にまで薄めるなどの方法も取られるが、単純に薄めた場合は有害な汚水が大量に発生する事もあり、広域土壌の除染には向かない。ただしサリンは加水分解によって無毒化するため、水の散布が有効である。かつては土中への埋没処分や海洋投棄がしばしば行われたが、これが現在でも問題となっている事例がある。日本では、神奈川県寒川町、千葉県習志野では、裸地以外の舗装や植栽等がされている土地について、土地改変時に安全を確保するための注意事項を示した安全マニュアル(土地改変指針)を土地所有者や建設事業者等に配布し、毒ガスが埋まっていることを環境省が周知した。他にも、毒ガスの埋まっている可能性が高い場所を環境省は発表している。化学兵器と思われる埋設物を発見した場合には、被害拡大を防ぐために専門家に相談することが必要である。また、平成19年度版環境白書によると神奈川県の平塚市においては、一部地域の地下水及び土壌から有機ヒ素化合物が検出されたため、表層土壌調査などを実施した結果、有機ヒ素化合物の原体と考えられる白い塊及び汚染土壌が発見された。平塚市には、かつて旧日本海軍の化学戦研究機関が存在していた。ほかにもいくつかの発見事例があり、化学兵器禁止機関への報告などがされている。なお、茨城県神栖市において、有機ヒ素化合物による地下水汚染と健康被害が報告され旧日本軍の遺棄兵器ではないかと疑われたものの調査により旧軍由来ではないものと発表された。旧日本軍が太平洋戦争末期に中国領内に化学兵器を遺棄したとも考えられており、旧日本軍の遺棄化学兵器を処分するため、多額の費用を捻出する事が決定された。ただし、これ以外にも中ソ両軍が放棄していたものが相当数含まれるとの憶測もあり、議論を呼んでいるほか、日本敗戦時に中国軍に引き渡された兵器に対する処理義務は無かったとの主張も見られる。この処理に関しては日中間で1999年に『日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書』が取り交わされている。さらに詳しく 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