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執筆者プロフィール
- AFP ファイナンシャル・プランナー
- 生活経済研究所長野 研究員
- 2025.10.23
- ライフプラン
医療のデジタル変革で命と資産を守る
● あなたの保険証、あと2ヶ月で使えなくなるかもしれません
昨年12月、従来の健康保険証の新規発行が停止されたことをご存知でしょうか。今、あなたの財布に入っているその健康保険証、実は「経過措置」として、その効力が期間限定で延長されているに過ぎません。そして、その最大の有効期限である2025年12月1日まで、残りはもう2ヶ月を切りました。
「まだ使えるから大丈夫」と安心している方もいるかもしれませんが、その猶予期間はまもなく終わりを迎えようとしています。期限が過ぎた後、マイナンバーカードを持たない場合は、代わりとなる「資格確認書」を利用しますが、それには有効期限があり、保険者が設定する最長5年の範囲で更新が必要です。何より、これからお話しする、あなたの命と資産を守るための、医療の新しい常識の恩恵を受けられません。これは単なるカードの切り替えではありません。私たち患者が、自らの医療情報をその手に取り戻し、より安全で質の高い医療を受けるための「医療のデジタル変革」という、大きな革命がすでに始まっているのです。
● もし、旅先で倒れたら?―スマートフォンがあなたの「第二の記憶」になる
想像してみてください。あなたが旅先で、突然の激痛に襲われ、救急車で初めての病院に運ばれたとします。意識が朦朧とする中、医師から矢継ぎ早に質問される。「持病は?」「アレルギーは?」「1年前に撮ったCTの結果は?」。あなたなら、的確に答えられるでしょうか。
この問いに、明確な答えを与えてくれるのが、「NOBORI」に代表されるPHR(Personal Health Record)アプリです。このアプリが入ったスマートフォンさえあれば、先ほどの救急搬送のシナリオは全く違うものになります。あなたは、医師にスマートフォンの画面を見せるだけです。そこには、1年前に地元の病院で撮影されたCT画像も、現在処方されている薬の名前や用量も、すべて正確に記録されています。
もちろん救急の現場では「現在の状態」を把握するために検査は必ず行われますが、医師は新たに行った検査結果を、あなたが提示した過去のデータと比較できます。「この影は1年前から変化がないのか、それとも急に現れたのか」。この比較ができるかどうかで、診断の精度とスピードは飛躍的に高まります。一刻を争う状況で、原因を正確に突き止め、最も効果的な治療方針を即座に立てられる可能性が格段に上がるのです。結果として、診断が遅れることによる症状の悪化や、的外れな治療による入院の長期化といった、患者にとって最も避けたい「無駄な医療費」と「心身への大きな負担」を未然に防げます。
● 「数十万円の急な出費」から家計を守る、もう一つの価値
マイナ保険証がもたらす価値は、緊急時の医療の質を高めるだけではありません。私たちの家計を予期せぬ大出費から守るという見過ごせないメリットがあります。
急な手術で医療費の総額が100万円かかった場合、3割負担なら窓口での支払いは30万円です。もちろん「高額療養費制度」で後から払い戻しを受けられますが、問題は、一度30万円という大金を立て替えなければならないという現実です。こうしたリスクを軽減するために、従来は事前にご自身が加入している公的医療保険の窓口に申請して「限度額適用認定証」を発行してもらい、それを提示することで窓口での支払いを自己負担限度額までに抑える方法がありました(※1)。しかし、この手続きは事前申請が必要であり、突発的な入院や手術では間に合わない場合があります。
ところがマイナ保険証を利用すれば、この状況は一変します。認定証を発行していなくても、窓口での支払いが自動的に自己負担限度額でストップします。「後で戻ってくるから同じ」ではありません。急な出費で家計が圧迫されるキャッシュフローのリスクを未然に防げるかどうか。この差は、家計の安心感にとって計り知れないほど大きいのです。
● あなたの知らないところで、社会は確実に動いている
ここまで個人のメリットを中心にお話ししましたが、少し視野を広げてみましょう。実は、この「マイナ保険証への移行」は、国全体の大きなうねりとなっています。
総務省のデータによると、2025年5月末時点で、マイナンバーカードの保有者は日本の総人口の78.6%にあたる約9,817万人に達しています。そして、そのうちの86.0%が、すでに健康保険証利用の登録を済ませています。つまり、私たちの多くが、すでに新しい医療の形へ参加する準備を終えているのです。
医療現場での利用率も着実に上昇しています。病院や薬局でのマイナ保険証の利用率は、この1年で急速に伸び、全国平均で約3割に達しています。なぜ、これほどまでに利用が促されているのか。その背景には、国の診療報酬制度が深く関わっています。国は「医療DX推進体制整備加算」という制度を設け、マイナ保険証の利用率が高い医療機関ほど診療報酬が高くなる仕組みを導入しました。そして、その利用率の基準は段階的に引き上げられており、2025年10月からは概ね25%・40%・60%、2026年3月以降は30%・50%・70%といったより高い利用率が求められる予定です(区部や電子処方箋の有無によって異なる)。
私たちが病院の受付で利用を勧められるのは、こうした社会全体の大きな変化が現場レベルで具体的に現れている証拠なのです。
● あなたの選択が、未来の医療をつくる
これだけのメリットや社会の変化を提示されても、なお「大切な医療情報とマイナンバーカードを紐づけて大丈夫?」という不安を感じる方もいると思います。その懸念はもっともです。
しかし、ここで知っておいていただきたいのは、あなたの医療情報や薬剤情報が、マイナンバーカードのICチップ自体に記録されない、という事実です。カードはあくまで、安全に情報へアクセスするための「鍵」の役割を果たすもの。情報の本体は、国の厳重なセキュリティで管理されたサーバー上にあります。
この変革は、私たち個人のメリットに留まりません。全国の医療機関や薬局がオンラインで繋がることで、日本の医療全体が大きく変わろうとしています。「電子処方箋」が普及すれば、複数の病院から同じ効能の薬が重複して処方されるのを防げます。マイナ保険証の利用は、国が進める大きな流れに参加する、具体的で最も簡単な第一歩です。それは、これまで受け身だった患者が、主体的に自らの健康管理に関わる「情報の自己主権」を取り戻す動きでもあります。
次回の通院時、ぜひ受付でマイナンバーカードを提示してみてください。その小さな行動が、あなたの未来の医療を、そして人生を、より豊かで安心なものに変えていくはずです。
※1:限度額適用認定証を利用した委任払いの仕組み
